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『泣きたくなったら此処へおいで』スペシャル・ファイナルsuper climax/2021.11.20 (土) 札幌共済ホール
15年前、道新ホールでデビュー25周年記念コンサート「GOAL」を開催するみのやにインタビューしたとき「もう、かっこつけなくていいって思ってるんですよ。ある種かっこ悪かったり、無様だったりする事が実は一番ステキでかっこいいんじゃないかと、そんな境地になってきましたね。ヒット曲を出す事が全てではなく人生を謳歌する一つのアイテムなんだと。自分の人生が豊かであればいいと思っているんです。」と語っていた彼。当時40代半ばだ。あれから15年が経ち、デビュー40周年そして還暦を迎えた。
初めて会ったのはやんちゃな少年の面影を宿した20歳の頃である。よく伸びる高音域と美しいメロディーに乗せた等身大の言葉が人々の心をとらえた、デビュー曲「白い嵐」の発表会に、吹雪混じりのルート232を彼の故郷、羽幌へ向かったのがもう40年前のことになるわけだ。
音楽評論家の冨澤一誠氏が、みのやの40周年記念アルバム「泣きたくなったら此処へおいで」を、全編が生きざまに裏打ちされたメッセージそのものであり、フォークシンガーとして40年間もうたいつづけてきたことを、まさに継続は力なり、骨太の本物の歌だと高評価している。
今回のステージは40周年と還暦のダブル・アニバーサリーにふさわしい、節目のステージになることを予感していた。
ところが拠無い事情で当日会場に足を運ぶことが叶わなくなり、忸怩たる思いに駆られていたところへ、配信ライブの情報を得て、なんとか節目のステージを観ることができた。
照明の落ちた会場にみのやの声が響いた瞬間から、一気に引き込まれ、気がついたら同じ時間を走り抜けた爽快感と感動に包まれたまま、我に返った。
会場に集うファンの熱気も浴びたいという贅沢な望みすら、脈々と流れる興奮と歓喜のバイブレーションが画面からあふれ出てくるので叶ってしまう。それどころか、カメラワークの妙で、普段なら客席から窺い知ることの出来ない映像もたっぷり楽しめる。配信には、いつものステージ演出の他にこういう楽しみもあったのかと、膝を叩く。
当のみのやはと言えば気負いこそないものの、逆に喜びを分かち合おうとでもするかのように、滑り出しから「もう喋らない」と言いつつ、いつも以上に饒舌だ。そして40年を振り返り、蘇る思い出の数々に胸が熱くなる場面も幾度か見られた。けっして幸せな思い出ばかりではなかったはずだし、悲しい出来事や辛い経験を潜り抜けてきたことは、想像に難くない。けれど何度心折れても諦めることなく歩んできた。歌を作り続け、歌い続けてきた。その40年が凝縮されたステージだ。
バンド編成で3曲、そこから弾き語りとなり、なかでも「雪の花」をボサノバ風のイントロから歌い出した時は、ハッとさせられた。こんなにもやさしく、軽やかに歌ってのけるとは。ちはらさきへの楽曲提供作品のカバーだが、彼女のリクエストで作ったその続編、今回のアルバムに収録曲の「さよならの花が咲く」をステージ後半で披露し、好対照の一対であることを知らしめた。どちらも名曲である。
再びバンドを従えての「白い嵐」で前半を終える。
誰よりもみのやを応援し、今年初めに亡くなった兄の想いが独白の形で語られ、後半スタート。
新しいアルバムの楽曲は後半からアンコールで全て披露された。表題曲から「いちばん帰りたい場所」「この世に生まれて」と続いていく。
聞いているうちに、どの曲も深さ、広さ、豊かさという点で、積み重ねた歳月の上だからこそ生まれる作品だと思えてならない。沁みる、刺さる、届けられる全てに包まれ、癒される。歌もギターも一段と磨きがかかった。ふと、みのやはいったいどこまで伸び続けるのだろう、という思いにとらわれた。一曲一曲がどうだこうだと言うより、全曲がそのまま一人のフォークシンガーの来し方を、如実に物語っていた。
40年を経て、あのやんちゃな少年の面影を宿していたみのやは還暦を迎え、60までは続けるという大きな目標をクリアして、「ありがとうに囲まれてる気がする」「辛いこと以外全部幸せ」と言う。
当日会場に詰めかけ、笑わせられ、泣かされ、感動の渦に翻弄された観客のだれもが、気づいていたと思う。ここが20歳のみのやが目指していた目的地なのだと。けれどもそこは一つの到達点であるとともに、通過点でもあることも。
これからのみのやもずっと見続けていきたい、心からそう思った。
(音楽ジャーナリスト 内記 章)
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