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華々しく35周年を祝うという雰囲気ではなく、まだ旅の途中、あくまで一つの通過点に過ぎない、そういう風にステージを展開するだろうと予想していた。別に確たる根拠があった訳ではないが、みのやなら、構えることなく淡々と、35周年というアニバーサリー感よりも、55歳の今尚明日を信じ、夢を追っていられることの幸せを噛みしめている姿が伝わってくるだろうと。
ところが幕が開く前からいつもとは違っていた。高校生のみのやが憧れの松山千春のラジオ番組に電話で参加した時のテープが流れ、歌手としてのみのや雅彦の誕生以前の姿が浮かび上がった。そこへ幕が開き、「涙が歌にかわるとき」と共に35年の歩みを今も進める本人が登場する。客席の興奮はいやが上にも高まる。
続いて「汽車のあとを」そして「笑えないピエロ」。みのやの歌はいつも詞とメロディーと声がまるで互いに身を削りあって、最高の作品を紡ぎだそうとしているかのようだ。苦さもしょっぱさも、積み重ねる味の一つ一つが醸し出す豊かさや奥深さに、彼が過ごして来た年月の重みを感じずにはいられない。それはこれでもかと盛り込み、作り込んだクドさとは対極にある、さらりとした吟醸酒の如き味わいがある。
いつものように笑わせたりホロリとさせながら、いつの間にか温かく包み込む、みのやのステージに観客は安心して心を委ねている。しかし、今年のステージからはいつもと違うものを感じた。それはヒット曲に恵まれない悔しさ、歯がゆさ。いい曲を書く、素晴らしいライブを行う、支えてくれるファンとの固い絆、それだけでは満足しきれない自分を隠そうとしない場面が幾度となく見られた。そう思いながらステージを見守っているせいか「傷ついた翼」も「夢しかなかった」もいつもより鋭く刺さってくる。おそらく歌うみのや自身にも同じように跳ね返っているに違いない。
バンドやストリングスを従えたり、弾き語りをしたりとステージは進んでいく。時折35年分の想いを滲ませながら、それでも明日を信じて歩むこの男の背中に伝えたい言葉が、ふと頭をもたげた。
頭上高くに輝く星だけが星ではない。人が心萎えているとき、闇に閉ざされているとき、その身を投げ出して、さながら銀砂を撒いたように闇の底を照らし、行く手をほの明るくしてくれるのは、みのやの歌なのだ。まさにミスタースターダストの面目躍如と言っていい。大きな尺玉が頭上で一つ炸裂するより、幾百万、幾千万の線香花火が心の闇をつめつくす時、その光は隅々まで届くだろう。心細い思いを隣で半分分け合ってくれるのも、凍えた心を温めてくれるのも、みのやの歌でしか叶えられないと思っているのは、会場に詰めかけた人々ばかりではないことを忘れないで欲しいと。
けれど人生という旅の途中、いちどはどでかい花火を打ち上げたい、輝きたいとの気持ちも痛いほどわかる。だからこそファンも、自分たちの手の届かないところへ行って欲しくない思いと、いつかは大きく輝く星となることを望む気持ちが拮抗する。それはみのや自身が渇望していることを知っているからだ。
40周年という、次なる節目をまた通過点として、旅を続けるみのやとそれを見守り続けるファンの明日を信じる気持ちは等しく、深く熱い。
(音楽ジャーナリスト 内記 章)
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