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小雨混じりの寒い日となった11月1日、周辺には老若男女(老>若)が歩みを速めていた。今回大きなハコ(会場)へ移ったこと、それが会場へ足を運ぶファンの間にも一様に高揚感を漂わせている。「去年よりおっきくなったよね。」「教育文化会館だもんな。」期待が足取りを軽くする。
入り口手前の混雑をすり抜け、ロビーの人波をかきわけ、座席に辿りついてみれば果たして教育文化会館の大ホールは超満員。ミスタースターダストの登場を今や遅しと待ちかまえている。
客席のざわめきが、照明が落ちるのと入れ替わりにひと際大きくなる。
みのや登場。二階席へ向けての初コール「これがやりたかったんだ。」の一言にこちらも口元がほころぶ。いよいよだ。いよいよ始まったのだ。リアルライブツアー2014の最終日のステージが。
歌い出すみのや。いつもよりいくぶん喉の固さを感じたのは気のせいだろうか。みのやの事だ。緊張はしないと口では言う。リハのやり過ぎか、マッサージ師が緊張のあまり凝りを解きほぐしあぐねたせいか、まさか歳のせいじゃないよな、等と勝手に思いめぐらしながらステージを見守った。
「心には青い空」「scene」と最新アルバム「最高の一日」からの2曲を挟んでトーク。客席ははやくも熱を帯び、場内の滑り出しは上々と見てとれた。いつものようにそらさないトーク、放たれる熱い想い、そして歌。いつしか聞き入っていしまう。「東京」「雪の花」客席の千原さきが息をつめて聞き入っている。矢継ぎ早に繰り出されるトークと歌の攻撃にさらされ、会場全体が笑ったり感動したりしながら、心の中を潤されたり、温められたりするひとときだ。「がんばってね」を歌う頃にはずいぶん喉が柔らかになってきたように感じられた。
みのやのトークがお母さんの話になった。客席には涙と笑いと拍手が起こり、温かな空気が満ちていく。ふと、みのやの声のトーンが変わった気がした。そして「百の言葉 千の想い」を聞いた時、初めに抱いた危惧が嘘のように雲散霧消してしまった。いつものみのやだ。
この一年、みのやにとって平坦ではなかったはずだ。身近な人との別れが立て続けに襲った時期もあった。萎える心を奮い立たせるように歌を作り、歌ってきた。進行するステージを見つめながら、目の前のみのやの胸の奥をおしはかったりもしてみた。11月1日を境に33年目から34年目へと踏み出したみのや。そのはじめの一歩に立ち会ってからここまで、別に頼まれたわけでもないのにあれこれ心配してみたり、お節介を焼くほどのしゃしゃり出もしないのに妙に気にかかって仕方無い。自分にとってみのやはそういう存在だった。長い音楽記者生活でもデビューに立ち会ってずっと見守ることのできる歌い手はそういない。
彼が一本のカセットテープをポストに投函した時から始まった長い旅。家族や友人、仕事やラジオを通じて巡り合ったたくさんの人々は、彼の中に己の姿を見つけ、投影図としての彼が頑張る姿を自分に重ね合わせて、己を鼓舞したり癒したりしてきた。そういう人でいっぱいの会場にいる、自分もまたそういう一人になってしまっているのかもしれない。どこまでも冷静にみのや雅彦という歌い手を見つめようとしながら、まるで感情がせきを切ったように溢れ出し、歌がひときわ輝いて聞こえる瞬間に立ち会うと、胸が震えるのを認めないわけにはいかない。自分も含めてそういう人々のためにミスタースターダストは存在するということを、今回甚だ客観的にではなくほぼ主観として受け止めてしまった。
この大男は繊細な心と強靭な愛情深さで歌を紡いでいる。松山千春や田中義剛ら先輩に可愛がられるのもわかる。みのやのまっすぐな心と姿勢は誰かれの区別なく届くのだ。それはバンドのメンバーやスタッフとの信頼や絆においても変わることが無い。
今回ステージと客席という垣根を越えて、同じ時間、空間を共有することのカタルシスを味わった気がする。これは並大抵のことではない。目の前の大男がそれをやってのける。そこには血の通った彼の愛があり、言葉があり、メロディーがあり、歌がある。これがみのや雅彦の作るステージなのだ。
だからこそ、最高の一日を共有した人々は、さらなる高みを一緒に目指す。もっと大きな会場へ、もっと最高の一日を。ピークは未来へ続いていく。おそらく命の限り。そしてそれを見届けるのが自分の役割なのだと今は確信している。
(文:音楽ジャーナリスト 内記 章)
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