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「これからツアーでしょう?」
4月3日、札幌・道新ホールでの舞台「旅立ち‐足寄より‐」千秋楽に抱いた思いをこのノーザン・エンタメ・アイズに綴ったところ、それを読んだ千春本人が同じ思いで舞台を見ていてくれたと電話をくれた。まさか本人から電話が来るとは思わなかった私は、失礼にも「本当に千春さん?」と思わず確かめてしまった。その時交わしたのが冒頭の言葉である。まさにそのツアーが4月11日から始まった、今回の「夢破れて尚」だったのだ。そして6月25日、ツアーの最終地札幌ニトリ文化ホール2日間の初日に足を運んだ。
会場を埋める観客の間に渦巻く熱気がすごい。失礼ながら相当高齢と見受けられる方も少なくない。おそらくデビューからずっと千春を追い続けてきたファンが全国から集まってきているに違いない。と思う間もなく開演のベルが鳴り響く。すると幕が上がる前から「千春―!千春―!!」と呼び声が後を絶たない。
客席の高揚に合わせたかのように幕が上がる。ゆっくり登場してきた千春、あやうくイントロが終わりそうな瞬間、マイクをとって「ため息をつかせてよ」を歌い出すと一気に会場中がひきこまれる。
そうだ、いつもこの瞬間にぞくぞくしながら見てきた。千春という存在の魅力にひきつけられたのはその歌声だった。それは会場を埋め尽くしたファンも変わらないだろう。詞が、メロディーが、トークが、人柄が、その後どんどんあふれだす彼の魅力、それとともに膨れ上がっていく人気に圧倒されながらも、ひきつけられる根底に私はいつも彼の声に魅了されている自分を意識していた。が、「6月の雨」そして「恋」を聞く頃には完全にそんな意識さえも忘れていた。
歌い、しゃべり、身体を案ずるファンに体調の良さを訴え、あっという間に一部が過ぎ去る。彼の呼吸さえもが会場中の鼓動のようだ。おそらく若い時のように激情を叩きつけるような歌い方をすることはなくなっても、内で脈打つものに変わりはないのだ。
映像をはさんで2部が始まる。客席の温度を細やかに気遣いながら、ステージを進める千春。腹筋が痛くなるほど笑わされ、目頭が熱くなったり、胸が痛くなったりと千春の手綱に情緒を委ねているうちに、1977年8月8日、この同じステージで「ファースト・コンサート旅立ち」を行った時の千春の姿が思い出された。まるで自分のことのようにハラハラドキドキしながらステージを見守る一方、これで彼は遠いところへ行ってしまうという淡い予感が、嬉しさと寂しさをないまぜに襲ってきたのを覚えている。奇しくも千春の口から、そのコンサートの時、袖で見守る竹田ディレクターの話が出て、彼自身もその時を思い返していたのかと胸が熱くなった。その時の予感は瞬く間に現実のものとなり、あの時千春を世に送り出し、その後を見届けることのかなわなかった竹田さんのかわりに、こんなにも多くの人々が今日このステージを見守っていることの感動に、心の内で震えるものがあった。
若かった千春の姿を今の彼に重ねながら、楽曲に込められた思いや、楽曲の合間に語りかける話のひとつひとつに、松山千春自身が何一つ変わらず色濃く宿っているのを見てとった。歌手、松山千春は、その存在全てをもって表現するのだということに、今更ながら気付く。だから彼は「賤しい歌はうたわない」と言い切るのだ。そしてそのことを知っているから、36年経っても変わらぬ声援を送り続けるファンが引きも切らないのだ。
だれより贅沢なアンコールを届けてくれた千春に、総立ちの拍手と歓声を浴びせた観客が帰路に着く頃、私も駐車場に向かいながらあの日、1977年のコンサートが終わって出てきたときには、有珠山の噴火で真っ白に火山灰が車に降り積もっていたのを思い出した。
今夜、静かな町に降るのはさっきまでの感動をかみしめながら帰る人々の満足のためいきかもしれない。
(文:音楽ジャーナリスト 内記 章 2013年6月27日)
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